2017.11.26 滋賀 【長寿院 井伊神社】
彦根お参り日記の続きです。
龍潭寺の周りには、寺社がいくつかまとまっています。すぐ近くに井伊神社が目に入りましたが、その奥に別のお寺の案内が見えたのでそちらからお参り。長寿院、別名・大洞弁財天さんを目指します。
“こちら→”っていう看板の方に歩いて行くと、ありえない山道。
しかもかなりの勾配です。
「ヒーヒー」言いながら登って行くと何やら古い建物が。後から由緒書き見てわかったのですが、それは経堂。由緒ある建物のようです。そんなこと知らずに「まだ先かよ」って思いの方が強くて写真撮らず。煩悩の塊を露呈した形に…。
そこからまたしばらく歩くと“お参りの方はこちら↗︎”の案内が。階段を登ってようやく到着しました。
4代藩主井伊直興が日光東照宮を修造した大工を使って建てたもので、権現造りの本堂は彦根日光とも呼ばれます。正式には長寿院ですが、日本三大弁財天の一つといわれる弁財天坐像を安置していることから大洞弁財天と呼び親しまれています。
私が入ったのはどうやら裏からのようで、本堂を前にして振り返ると歴史感じる山門が。潜って山門の外に出ると、下りの階段が続いています。それが結構長い階段で、一度下ってまた登ってって気を起こさせない!
ちょっとだけ下って山門をパチリ。
急な階段で後方に体重をかけるのが困難でしたので、全てが入りきれない中途半端な一枚。重厚感は凄いです。この門は楼門と呼ばれていて、階段を降りたところにもう一つ総門があります。下から登って総門→楼門の順に潜って本堂でお参りするのが正式なのかな?
結構情報が少なくて、それらの事が分かったのは帰り際にいただいた由緒書きを見てからでした。先に欲しかった。
再度楼門を潜り、本堂・弁財天堂でお参り。
当時最高の建築装飾技法が駆使された国の重要文化財です。
本堂の裏には奥の院・宇賀神堂。
また階段の上。
そして本堂方面に戻り、向かって右側には阿弥陀堂があります。
彦根藩領内の古城主237人を弔う為、戒名が奉納されているそうです。また、この建物には日光東照宮に似せて眠り猫が彫られているそうなんですが、後から知った為、見ること叶わず。
御朱印は奥にある納経所でいただけました。
どうやら障子紙張り替えの真っ最中のようでした。
大洞弁財天を後にし、来た山道を下ります。そして先程スルーした井伊神社にお参りです。
浜松の井伊谷から井伊大明神を分霊して神像を造り、龍潭寺の参道脇に祀ったのがはじまりと言われる井伊神社。直政・直孝親子も祀られています。
鳥居も立派、紅葉も美しい。
が、山道の突き当たりの本殿は
あれ?どう見ても封鎖されてる。南京錠でがっちり。後でガイドの方に伺ったところ、あまりにも劣化が激しくて、今は本殿には何も祀られていないとのこと。代わりの新しい本殿は
横にあります。
旧本殿の見えるところだけでも感じますが、中はかなりの豪華絢爛のよう。今では年に2回内部公開されていて、つい最近公開があったようです。残念。
さて、お次は彦根城を目指します。
つづく
2017.11.26 滋賀 【龍潭寺】
一ヶ月更新してないからと、はてなブログから「投稿しませんか?」ってメールが届いたからというわけではありませんが、一ヶ月ぶりにお参りして来ました。
今回はちょっと遠出。
相変わらず大河ドラマ『おんな城主 直虎』にドップリな感じで入り込んでおります。
特に最近は「直虎じゃなくて直政だよなぁ」って思いながら見てたり、「西郷どんの放送、半年くらい遅らせてこのまま直政の話やってくれないかなぁ」って勝手なこと考えてたりしてます。
ってことで、井伊直政ゆかりの滋賀県彦根市に行ってきました。
以前、大河ドラマで井伊直政を演じている菅田将暉さんが『鶴瓶の家族に乾杯』で彦根を巡っているのを見て、「行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい…」と考えておりました。
彦根へは電車乗り継ぎ乗り継ぎ。名古屋方面からは大垣まで行って、そこから米原まで行って、琵琶湖線で彦根まで。米原までは新幹線ってルートもありますが、在来線でも20分しか変わらないのでのんびり旅してきました。
今回は彦根城と隣接する博物館で今月28日まで開催されていた大河ドラマの特別展も見て見たいと思って向かいました。
おそらく私は滋賀県初上陸。彦根駅を降りると
早速直政公のお出迎え。
彦根城の前に、ゆかりのお寺をお参り…と向かったのが彦根駅から歩いて15分程の山の麓にある
龍潭寺。
以前、浜松でお参りした龍潭寺の分寺です。
彦根城が出来るまではこの山の上に佐和山城があり、豊臣時代は石田三成も入城。関ヶ原の戦いで徳川勝利後、井伊直政が入城することとなり浜松・井伊谷の龍潭寺から昊天禅師を招いて分寺されたそうです。
(直虎をご覧の方へ。昊天禅師とは、あの龍潭寺の僧侶の市原隼人じゃない方です。)
紅葉もまだ残る彦根の山里。
石田三成像もあります。
彦根龍潭寺は“ダルマ寺”とも呼ばれ、大小様々なだるまが祀られています。
そして浜松龍潭寺同様、庭園も有名。
昊天禅師による枯山水。かつてこちらには禅宗の寮があり、その中で庭造りを学ぶ事もあったとか。
他のお参りの方もそんなに多くなく、のーんびりしちゃう景観です。
(なんか、それっぽい写真撮ってみたりして…)
こちら、拝観料が必要な為、支払いの際に御朱印帳を預けておけばお寺の中を巡っている間に出来上がります。
歴史の事を書き始めると止まらなくてすみません。これでもかなり端折った方なんです。
つづく
2017.10.21 愛知 【松平東照宮 高月院】
非常に強い勢力の台風21号が日本列島を脅かしている中、台風がひどくなる前なら行けるんじゃね⁇と、傘差して愛知県内をお参りしてきました。
10/9、名古屋市にある名古屋東照宮をお参りした際、全国東照宮連合會なるものの存在を知り、お参りに行けそうな所を吟味しておりました。そんな中、一つ気になる東照宮を発見。松平東照宮。おぉ、松平発祥の地。しかも豊田にある⁉︎って事が分かると行きたくて行きたくて。ムズムズムズムズ。
と、雨の中お参りしてきました。雨だったら人もそんなに多くなくていいかなと。
徳川三百年の礎となった松平氏発祥の地。およそ600年前に発祥したそうです。
豊田市の山奥に位置する松平の里は松平郷と呼ばれ、松平氏を偲ぶ史跡などが残されています。
この松平郷には豊田市駅からとよたおいでんバスに乗って向かいます。途中、ビックリするような山道を走ることおよそ40分。松平郷というバス停で降ります。天気のいい週末ならきっと数人の観光客もいるのでしょうが、ここで降りたのは地元の方と思しきおばあちゃんと私。バスを降りるとすぐ
松平郷に案内が出てるのでとてもわかりやすい。ここから歩いて5分ぐらいの所にあるのが
松平東照宮。
周りはお堀のようなつくりになっててコイが
「なんかクレ、なんかクレ」と口をパクパク。
コンパクトなお宮ですが、『松平』と『東照宮』という二語が重なるだけで重厚感が増すような気がします。
本殿の天井には様々な花の絵が施されています。
地元の漆芸家の方の作品のようで、それは壮観です。
本殿から右手にあるのが産湯の井戸。
松平家が産湯に使っていた井戸が祀られています。家康公が誕生した際には、竹筒にこの井戸の水を入れて早馬で岡崎城まで届けたとか。
この辺りの写真、何の違和感もなく写っていますが、雨雲の影響で実際はもっともっと暗いんです。雨だから他の参拝客もいないし一人でウロチョロするにはちょっと怖いくらいです。
井戸から拝殿の方に戻り、向かったのは松平郷館。松平、徳川の歴史館です。
こじんまりとしていますが、鎧などの武具を始め松平、徳川の葵の御紋満載の歴史館。馬印も葵の御紋。
社務所には参拝客私しかいないのに宮司さんがスタンバッテいてくれました。
紅葉は11月になってからだそうです。
松平郷にはお寺がもう一つ。松平氏の菩提寺 高月院です。松平東照宮から坂道を上った先にあります。
その途中、松平氏の始祖といわれる松平太郎左衛門親氏公の銅像があります。
かなりワイルドな始祖様です。彫りの深さが日本人離れし過ぎ感も。
かなり整備された通りの先にあるのが高月院。1367年に建立された頃は寂静寺と呼ばれていたそうですが、親氏公が1377年に本尊阿弥陀仏をはじめ堂・塔のすべてを寄進してから高月院と呼ばれるようになったそうです。
山門や本堂は家光公により建立されたとか。江戸時代にも代々大切にされてきたお寺だったのでしょう。
本堂には靴を脱いで上ってお参りできます。
誰もいなかったこともあるでしょうが、心鎮まる静けさが漂います。
本堂の外にはシダレザクラが。
家康公御手植とあります。スゲー。
奥には親氏公をはじめとする松平氏墓所。
こちらにも上ってお参りさせていただきました。
御朱印は本堂脇の朱印所でいただけるようになっています。
どなたもいらっしゃらなかったのですが、その場合、脇に吊るされた鐘を3回叩くように案内されています。どのくらいで叩けばいいか塩梅がわからず、控えめに鳴らしてみますが奥からの反応は無し。もう一度、今度は気持ち強めに鳴らしてみると、奥の電気がついてご住職に出てきていただきました。
御朱印を書いていただきながら、ご住職から「悟りをひらくとはどういうことか、お分かりですか?」と質問されます。「やはり、修行を積まれないと悟れないのでは…」と答えると、まずまずの回答だったようです。そこから、ご住職とのお話に花が咲きまくりました。高月院さんは浄土宗のお寺で、浄土宗のご住職は悟りは開かれていないと。悟りを開いている宗派のご住職は大変だ。五戒を守らなければならない。でも、五戒の中にある『不飲酒戒』は守っているのか。などといったお話を楽しくしていただきました。
私の家のお寺が曹洞宗であることをお伝えすると、「おっ、悟りを開かれているお寺ですよ」と。ん⁇法事の時、住職はガンガンビール飲んでたけどな。そのことをお話すると、ニコッと笑って「今度、五戒についてご住職の考えを尋ねてみられるといいですよ」と。
御朱印をいただくようになって、こんなに仏教についてお話ししていただき、考えるきっかけをいただけたことがなかったので、とても有意義な時間でした。これはオススメです‼︎
高月院を後にし、松平郷を下ります。次に来るバスまでちょっと時間がある。松平郷には天下茶屋というお店があるのですが、もうすぐ閉店の時間。こんな時に入ると迷惑かなぁと変に考えてしまうため、お店には入らず。雨も降ってるので後から考えれば入ればよかったと後悔しましたが、松平郷下の駐車場にある地元の方が野菜を販売する軒下で時間つぶし。一時間ほどボーっとしてまたバスに揺られて帰るのでした。
2017.10.9 愛知 【愛知縣護国神社 日泰寺】
チャリのチェーンが外れて困ってた少年達を助けた後、ふと手を見ると、やっぱり真っ黒。こうならないように雑巾とかはないので顔拭きシート何枚か使ってやったんですが、どうしてもこうなります。再度顔拭きシートでキレイキレイしながら護国神社を目指します。
愛知縣護国神社。県でもいいんでしょうが、どの表記を見ても縣になってるので。
本殿の正面に立つと、何やら見慣れない一本の丸太が立ってます。
これは太玉柱というもの。
戊辰戦争から第二次世界大戦までの愛知県関連の戦没者を祭る愛知縣護国神社。以降の平和と安泰を祈念して建立されている9.3mの杉の真柱です。先端まで入れたつもりが撮れてなかった…。
珍しく狛犬も撮ってみました。
こちらの護国神社には田んぼもありました。
なんか、護国神社の御朱印って書き方に決まりでもあるのかな。他の所と字体が似てる気がする。
護国神社から再び那古野神社へ。
ちょうど30分くらい経ったので、そろそろ結婚式のリハーサルも終わったことであろうと。すでにお一人御朱印書いてもらってる最中でした。宮司さんかな?お疲れなのか、スッゲェ険しい表情でしたが書いていただきました。
この時点で15時過ぎ。前から行ってみたかったお寺を目指すことにします。
地下鉄を乗り継いで覚王山へ。
日泰寺さんです。
タイ国王から寄贈されたお釈迦様の遺骨 真舎利を安置するために創建されたお寺。日本とタイで日泰寺です。そして日本で唯一、どの宗派にも属さない全仏教徒のためのお寺です。
住宅街の中にポーンと出てくる日泰寺。
山門から見事です。
日本のお寺だと金剛力士像が山門の両脇でお出迎えしてくれるのが多いと思いますが、こちらは趣が違います。
こちらは左の迦葉尊者。お釈迦様の弟子最長老でお釈迦様の死後、仏教を率いた方。
こちらは右の阿難尊者。お釈迦様の最期を看取られた方。
いずれも高さは4.5m。楠一本造りのすごい像です。
山門をくぐって右手には
立派な五重塔。
本堂も立派にそびえます。本堂前では和装で結婚式の前撮りをされている方もいらっしゃいました。まぁ、お寺で珍しい。実は左の方にチラッと写ってます。
本堂に入って愕然。御朱印などを受け付けてくれる窓口があったのですが、カーテンが閉まり『本日の受付は終了しました』の立看板。
なぁにぃ〜〜〜〜!
まだ16時前だから余裕だと思ってたのに。まずお参りすべきはここだったか。もしくはもっと早く動き出すべきだったか。
また出直さないといけなくなりました。それでも本堂ではしっかりお参り。
ご本尊は金銅釈迦如来像。タイ国王寄贈のタイ国宝なんだそうです。タイ語の文字も見受けられます。日本のお寺特有の雰囲気とはまた違う、荘厳な本堂です。
さて、やや空振り感もありますが、次にお参りさせてもらう時は
こちらにお線香をお供えしたり、本堂からちょっと離れたところにある、真舎利が安置されているところにも行ってみよう。
2017.10.9 愛知 【名古屋東照宮 那古野神社】
神社用の御朱印帳が残り2ページになり、締めは何処がいいかなぁなんて考えてると、名古屋に最適なお宮があることが分かり、衝動的に出かけてきました。
名古屋の丸の内に位置し、周りはビジネス街ということで祝日のこの日はひっそりとした中にありました。
規模も日光や上野の東照宮に比べるとコンパクト。それでも徳川家康を祀るお宮には違いありません。
名古屋城初代城主、家康公の第九子 義直公により1619年に創建。その建物は戦争で消失してしまいますが、現在の本殿は1651年に建立された義直公の正室 春姫の霊廟を建中寺から昭和28年に移築したものなんだそうです。
やっぱり350年以上経ってる感は満載です。
本殿のすぐ隣には
末社の福神社
腰に両刀を差し、両手に玉を抱えた大黒様を祀っているこの福神社。ご利益をいただきたい‼︎
最後の2ページを締めるべく、こちらでは東照宮と福神社を見開きでいただけます。
2冊目で使っていたこの御朱印帳。日光東照宮、上野東照宮と今回の名古屋東照宮で3つの東照宮の御朱印をいただけました。
そんな話を社務所でしていると、全国には家康公を祀る東照宮連合会なるものがあるらしい。しかも加盟してるのは47社。帰って調べてみたら、9月にお参りした浅草神社、芝大神宮も加盟してる。東照宮って付いてなくてもいいんだ。日光に行ってから、どことなく葵の御門好きになっているワタクシ。また行ってみたいところが増えました。
名古屋東照宮のすぐお隣は那古野神社。道を挟むとか一件間に挟むとか何もなく、すぐ隣。東照宮からそのまま本殿に行けますが、鳥居を潜りたいので一度スルーして鳥居の外へ。
那古野神社。那古野と書いて“なごや”。
名古屋の旧名ですが、今でも名古屋市中村区、西区に那古野と書いて“なごの”と読む地名があるようです。紛らわしい。
鳥居をくぐってすぐ右手にある手水舎。
あまりにも龍が見事で撮っちゃいました。
歴史は西暦911年まで遡る古いお宮。これまで2度の戦火で建物は消失しますが、今の本殿は昭和29年以降から建て替えられたもの。
末社には福寿稲荷社
稲荷神社の鳥居をくぐる時はこのアングルの写真、撮りたくなります。
奥から日進社、月進社、白山社、弥五郎社、青麻社という5つの末社。
私が末社をお参りしている間、何人かの方が社務所で御朱印いただいている風だったので、お参り後社務所へ。すると『ただいま外しております』の立札。しばらく待っていると、一人神社の方が出てこられて「御朱印ですか?今、結婚式のリハーサルやってるので30分くらい書けないのよ」と。あぁ〜そうですか。時間ずらしますか。
と、近くの護国神社を目指します。
すっごい近道があったのに、無駄にグルっと遠回りしてしまった私。道中、自転車のチェーンが外れて困っている少年達に遭遇。チャチャッと直してやるか、とやってやりますが、一ヶ所チェーンがはまって全く動かねー。そこに、爽やか青年が登場し、なぜかリュックの中からラジオペンチを取り出し貸してくれます。それでチャチャッと直して「お父さんに言ってKURE5-56差してもらえよ〜」と言ってお別れ。少年達も「ありがとうございました‼︎」と元気にお礼を言ってくれたので気持ちいい。
ラジオペンチを貸してくれたお兄さんは「よく使うことあるんで、常備してます!」ってよくわからん。
お兄さんともお礼を言い合ってお別れし、護国神社に向かいます。
つづく
2017.10.8 愛知 【若宮八幡社】
名古屋に所用があり出かける際、御朱印帳を持っていくか、否か。迷いに迷った挙句、持って行きました。その為にも小さな御朱印帳にしたのもあります。
で、ふと出来た空き時間でお参りしてきました。
名古屋の繁華街、栄に鎮座するお宮。
若宮大通に面していますが、鳥居をくぐると全く街中にいる感覚はありません。
徳川家康が名古屋城を築城の際、その場所にあった若宮八幡社を現在の地に移され名古屋の総鎮守としました。
仁徳天皇、応神天皇、武内宿禰命を御祭神として祀る若宮八幡社。
本殿向かって右手には
末社の通りがあります。
連理稲荷神社
二本の木が連なる連理木を祀る為、縁結びのご利益があるとか。『出会いの小径』なる看板も出てます。
産宮住吉神社
神御衣神社
裁縫と恋愛成就のご利益が。こちらは『結びの小径』。左の方にあるピンクとブルーのヒラヒラしてるのが『願いの緒』。たくさんの方がお願いした跡です。その向かいには
針供養の針塚。2/8が針供養まつりなんだそうです。
こちらは熊野社、日吉社、香良州社、天神社、秋葉社の五つの祠。
若宮恵比寿神社。10/20が恵比寿まつりなんだそうです。
末社の通りとはちょっと離れたところ、本殿の向かい側、若宮大通沿いにあるのが
龍神社
境内の大木に白蛇が住み着いていたことに由来するそうで、弁財天の化身として祀られています。
御朱印は社務所でいただきます。ここで、えぇと思わせるお知らせが。
10/20の恵比寿まつり、10/22の名古屋まつりの際にはそれぞれ限定の御朱印をいただけるという。20日は無理だけど、22日は行ける…。要検討です。
レギュラーバージョン
で、帰って御朱印を見返してみて、一つ驚きが。よく、御朱印を書いていただいたあと、前後のページに墨移り、朱移りを防ぐ為に色々挟んでいただくことがありますよね。
そちらのパンフレットであったり、由緒が書かれた紙であったり。半紙だけや新聞紙や電話帳を切って挟んでいただいたこともあったかな。いずれもお心遣いありがたいことです。
が、ここ若宮八幡社では
スタンプとデコレーションを施した半紙を挟んでいただいていました。
書いていただいた後、御朱印だけチラッと見ただけで、ここまで目が行かなかった。しかも端の方がクシャッとなって、ごめんなさい。
でもこのお心遣いが温かくて好きです。
絶対捨てれない。
これまで、1日にいくつかのお参りをしてまとめて、又は分けてご紹介していましたが、今回は一社についてじっくりご紹介となりました。
2017.9.11 東京 【寛永寺 上野東照宮 不忍池辯天堂 清水観音堂】
靖国神社を参拝後、日本武道館を横目に九段下の駅に向かいます。
地下鉄を乗り継いでたどり着いたのは上野。上野公園の敷地には多くの寺社があるという事で、そちらをお参りに行きます。
上野公園内のお寺数カ所は寛永寺の伽藍として建てられていることから、まずはそのメインとなる寛永寺へ。
上野駅から上野公園を一気に横切って向かいます。後で調べたら、鶯谷の方が近かったのかな。
寛永寺
ひっそりとしたお寺ですが、徳川将軍家の菩提寺、祈祷所であるとともに、徳川将軍の6人の廟、お墓もあります。
この根本中堂がいわゆる本堂。薬師三尊像が祀られているそうです。
寺務所にて御朱印をいただきます。本当なら書いていただいているところを見てみたかったのですが御朱印帳を持って奥にいかれてしまいます。
これが出来上がった御朱印。
この達筆な文字の筆運びを見たかったんです。
寛永寺から再び上野公園に戻ります。
平日なのに人が多い。パンダの香香が生まれたばかりの上野動物園はお休みでした。
上野公園内でまず伺ったのは、上野東照宮。
日光に比べるとこじんまりとしていますが、厳かな雰囲気漂います。
五重塔を横目に突き当たるのが
豪華な唐門。
そもそもは藤堂高虎と天海僧正が家康から「我々の魂が鎮まる場所を作って欲しい」と遺言され、上野に作ったのがこの東照宮。その後、日光まで遠くてお参りできない人達のために日光東照宮に準じた豪華な社殿をと、家光により金ピカにリフォームされて今の姿になったそうです。
唐門から先、社殿などは有料エリア。唐門よりさらに金ピカで、見応えありそうですが、時間も遅くなってきたので今回はパス。でも、今となっては後悔してます。
社務所にていただいた御朱印。
お寺でいただくような御朱印でした。
上野東照宮から次に向かったのは不忍池。ここに寛永寺の伽藍の一つ、不忍池辯天堂があります。
琵琶湖の竹生島になぞらえて不忍池に中之島をつくり、そこに建立されたものです。
蓮の葉が生い茂っているため、池の上とは思えない橋を渡り、辯天堂へ。
辯天堂のご本尊は弁財天。財福よ、来い‼︎とお参り(怒られそう)今のところご利益はまだありません。
御朱印とともに、しおりもいただきました。
裏にはこんな暖かいメッセージも。
辯天堂から公園に戻り有名スポットへ。
西郷どん。
来年の大河の主人公です。
西郷隆盛銅像の近くにあるのが、清水観音堂。こちらも寛永寺の伽藍です。
うまく全体を収めるような写真の撮りづらい立地にあります。
京都の清水寺を模して建てられている清水観音堂。高台にあるため、ちゃんと舞台もありました。
ご本尊は千手観世音菩薩。そして子育て観音も祀られています。
ご本尊のとなりにちょこっと置かれているのがびんずる様。撫で仏様なんですが撫でられすぎて…。
でも、どことなく5年前に亡くなった祖母のようにも見えてしょうがない。私もナデナデしてきました。
この旅最後の御朱印はこちら。
これで夏休みから使っていたお寺2冊めの御朱印帳が最後のページが埋まりました。新しいのを新調しなければ。
上野公園を後に、夕刻のアメ横を散策。数年前にも訪れましたが、ますます“ここは日本じゃない感”が増してますね。
お寿司屋さんで腹ごしらえし、東京駅へ。バスの出る23時過ぎまでネットカフェでダラっと時間を潰すのでした。
やっぱり一人旅は楽しいね〜。
次はどこに行こう。次はもうちょっとリサーチをしようと心に誓い…
おわり