2018.1.31 静岡 【清見寺】
静岡お参り道中 PART 2 です。
駐車場でお次のお参り先を詮索。
久能山東照宮ともう一つ、静岡に行くならお参りしたいなぁと考えていたのが、静岡浅間神社。何でも、広い敷地の中にいくつもの神社があるらしい…という浅い情報しかありませんが、そこには行ってみようと。でもまだ時間にも余裕がありそうなので、ちょっと離れたところに行けるかなぁと導き出したのが、清見寺というお寺です。
静岡市清水区にあるお寺。久能山下から、途中、遠くに富士山を眺めながら30分くらいかかったでしょうか。
清見寺到着です。
駐車場の敷地にあるのが清見寺最初の門、総門。
総門のあたりにいると、電車の遮断機の音が聞こえます。特に気にしてなかったのですが、電車が通ってびっくり。総門と山門の間を電車が、走って来ました。東海道線を超える形で山門へ向かいます。
お寺の創建は古く、奈良時代。当時、この辺りに清見関という関所があり、その傍に建てられた仏堂を関所の鎮護としたことが始まりと言われています。
山門をくぐって真正面にあるのが、仏殿。
釈迦、迦葉、阿難の三尊が祀られています。
右手に回ると『⇦受付』と大きく表示されています。本堂の中を拝観することができます。受付に行くと鐘が吊るされていて、拝観希望の人は叩くよう案内されています。私、こういうのがどーも苦手で。叩こうか、叩くまいか、ウロウロしていると運良くお寺の方が出て来てくださいました。拝観希望である旨を伝えると、由緒書をいただき、拝観ルートをご丁寧に説明していただきました。
まずは本堂へ。
ご本尊は聖観世音菩薩様。またこちらは江戸時代より朝鮮や琉球の使節団が江戸へ向かう際の中継地となっていたようで、それにまつわる資料が木簡として掲示されています。この写真の上に、2/3ほど写っている『永世孝亨』の文字は琉球王子筆のものなんだそうです。
本堂の先に大玄関があり、そこの天井は鎌倉時代にこの関所で起こった戦乱の跡を伝える血天井なんだそうですが、どこが血の跡が良くわからず…。
順路通りに進み、本堂の裏回る形で移動すると、そこには『家康手習いの間』。
今川家の人質としてこの地に身を寄せていた当時の竹千代。このお寺のこの部屋で住職から教えを受けていたそうです。狭い…。3畳ぐらいのお部屋でした。
家康公の手習いの間の窓から望めるのが名勝 清見寺庭園です。
家康公もこの庭を愛し、駿府城から石を移してこの庭に配しているそうです。
置くの書院へ進むと、わぁ、
これはまさに厠⁈意外に広くて快適そう。
明治維新後には天皇陛下もよく訪れていたそうで、玉座の間もあるんです。
玄関方向へ戻ると、お次は2階へ。
潮音閣と呼ばれるこのお部屋。三面ガラス張りの開放的なお部屋。
この部屋から見える景色、今では埋め立てで色々なものが見えていますが、その昔はその名の通り潮の音が聞こえていたそうです。
本堂の拝観後、御朱印帳を受け取り外へ。やばっ!予想以上に楽しんで時間を忘れてました。帰り際に鐘楼をパチリ。
全景をパチリ。
なかなかの見応えあるお寺でございました。
そして家に帰って、見どころの一つ、五百羅漢石像を見るのを忘れたことに気づき、愕然とするのでありました。
つづく
2018.1.31 静岡 【久能山東照宮】
1月末、会社の休みが取れたので平日にお参り遠征に行ってきました。
9月に日光東照宮を訪れてからというもの、その日光より早く東照宮として家康公をお祀りしているという久能山東照宮に行きたい行きたい行きたい行きたい…ってなってました。
年末に行く予定を立てつつあったんですが、結局行けず。年明けにはブラタモリでタモさんと鶴瓶さんがお参りしているのを見て、さらに行きたい病が重度に。そして1月最終日にようやく訪れる事ができました。
久能山東照宮は静岡市駿河区にあります。
私の住むところからだと、新幹線とバスを乗り継いで行く事が出来ますが、いかんせんバスの便に限りが。日帰り予定なのでバスの連絡次第では久能山しか行けない場合も想定された為、レンタカーを借りて遠征です。
当初、予定を立てる時、今年初詣に行っていないという会社の同僚も誘ってみましたが、「遠い」って理由で断られました。
久能山まで片道150㌔強、ノンストップで2時間ちょっと。まぁ、遠いな。そこまでしても、行きたいんです‼︎
ということで、9時過ぎに車を調達していざ、久能山へ!
快晴の中快調に飛ばし、静岡インター付近では雪を纏った富士山がドーン‼︎と現れ、超興奮。
高速降りて、駿河湾を右手に見ながら走ると左手にはイチゴ農園がたくさん。その中で久能山東照宮参道にほど近い農園の方が敷地を駐車場として開放されているのでそこに停めさせてもらいます。駐車料は1日¥200。
無人なのでこちらの料金所で支払い。振り返ると山の上に、
東照宮をチラ見。1,159段の階段が待っています。
参道は平日だからかがらーんとしてます。お土産屋さんがやってる駐車場もヒマそう。
さて、ここから階段上りです。行ったるでー‼︎
この日は天気が良かったものの、ここ数日の低気温もあって完全防寒でやって来たのが、200段過ぎたくらいでアダになりつつありました。暑い‼︎ヒィーヒィー言いながら半分過ぎたあたりで振り返ると
あぁ、来てよかった。上り始めて15分くらいで一ノ門に到着。そこからもう一息でたどり着きます。
はぁ、着いたぁ…。社務所にて拝観料を支払い、御朱印帳も預けます。番号札を受け取って拝殿方面へ。
楼門。この門に掲げてある『東照大権現』の文字は、後水尾天皇直筆なんだとか。
楼門をくぐった裏に、家康公の手形が置かれています。小さい小さいと言われる家康公ですが、手はそんなに小さく感じなかった。まぁ、私の方がでかかったですが。
ここからもう一つ石段を登ると拝殿が現れます。
こちらは唐門。唐門は直接くぐることはできず、右に回って拝殿前に進みます。
その途中にあるのが日枝神社。この中にはなぜか、葵のご紋に歴代の将軍の名前を刻み込まれた木製のプレートが飾られています。
これ、何なのか聞こうと思って忘れてた。
そしてやっとの事で拝殿に到着。ここまで約50分。
さすが国宝。見事です。
唐門の中から外の眺め。この唐門の扉には、ブラタモリで紹介されていた鷹の彫刻があります。これが家康公の鷹好きを広めるきっかけになったとも。
拝殿、本殿の側面もなんかスゴイ。
拝殿の奥には家康公の廟所があります。
廟門をくぐると、灯篭に挟まれた参道。これまでの荘厳な雰囲気から一転。より神聖な雰囲気漂い、背筋も伸びます。
そして家康公の神廟。
家康公は遺言で「遺体は久能山に葬り、葬儀は増上寺で、位牌は大樹寺に納め、一周忌が過ぎてから日光山に小さな堂を建てて勧請せよ」と伝えてあったそうで、まさにその通りに執り行われています。
神廟の周りを一周し、金のなる木に執拗にお参りして来た道をもどります。
私これで家康公の遺言の寺社、コンプリートです!ありがとうございます‼︎
一旦、社務所周辺のベンチで休憩。またクネクネとした石段を下って、下の参道に戻って来たのは13時過ぎ。
久能山東照宮、40代半ばのおっさん一人で歩いてお参りして、所要時間は約1時間20分でした。
つづく
2018.1.14 愛知【大樹寺 菅生神社 龍城神社 岡崎城】
愛知県岡崎市道中つづきです。
瀧山寺宝物殿を後にし、バス停へと急ぎました。滝団地口のバス停から、来た時とはちょっとだけルートの違うバスで東岡崎駅方面へ。途中の大樹寺で下車します。
徳川家、さらには松平家の菩提寺となる大樹寺。今では岡崎市の町名にもなっています。
そしてその大樹寺まで。一度道を間違えるハプニングもありつつ、結構歩いて大樹寺に到着。
山門も立派です。
平安末期の阿弥陀如来を本尊として祀る大樹寺。家康公から5代前の先祖、松平親忠公創建と言われています。
本堂内は煌びやか。
そこから奥にある寺務所で御朱印帳を預け、収蔵庫、宝物殿にも足を運びます。この先は有料。中でも大樹寺のハイライトは松平八代・徳川歴代将軍の位牌。徳川将軍の位牌は亡くなった時の身長で作られています。が、高い位置に置かれているためか、大きいのか小さいのかよくわかりませんでした。ちなみに15代慶喜公の位牌はありません。将軍職を退いた後も存命であったことと、神式で葬られることを遺言したためだということ。
一通り巡った後、御朱印を受け取ります。
ここに書かれている『厭離穢土 欣求浄土』の文字。桶狭間の戦い後、大樹寺に逃れて自害しようとしていた若き家康公に住職がこの言葉を贈り思いとどまらせたという逸話が残っています。“戦国乱世を住みよい浄土にする事がお前の役目だ”という意味。深い…。家康公はこの八文字を座右の銘にしていたとか。
大樹寺から東岡崎駅方面へと戻る際、途中にもいくつか神社はありますが、時間的に厳しくなって来たのでそこはスルーして岡崎城へと向かいます。再度バスに乗り、殿橋という停留所で下車。ここから歩いて数分のところにあるのが菅生(すごう)神社。
由緒書きによると、歴史は日本武尊の逸話まで遡ります。
東国平定のため岡崎に立ち寄った際、賊を討つために矢を作らせると神風が吹き、そのうちの一つが小川に吹き流されると。その矢を御霊代と仰ぎ、伊勢の大神を祀ってここに神社を建てたのが始まりとか。岡崎市最古の神社と言われています。
家康公も厄除け、開運の祈願をしたとされる、由緒あるお宮です。
境内社の一つ、慰霊社。非常に細かい彫刻が施されているのに興味が湧きます。
開運稲荷大明神。
御神木、その名もパワーの木! 抱きついて、抱きしめて来ました。
御朱印をいただくと、限定御朱印の案内もいただきました。
コレはかなりそそられます。
菅生神社の後、ようやく岡崎城へ。
岡崎城のすぐ隣には龍城(たつき)神社が鎮座しています。
家康公生誕の朝、城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れ、昇天したという伝説が残る龍城神社。
とにかくキレイ‼︎って印象のお宮。こちらも家康公を祀る東照宮の一つで、昭和37年の社殿再建の際には日光東照宮から神木の寄進を受けて建てられたそうです。
そして岡崎日帰り旅の最後に岡崎城へ。
時間も遅くなって来たので天守閣には入らず、外から眺めるだけ。
家康公の銅像も逆光でうまく撮れず。いいタイミングで飛行機雲が入ってきました。
同じく岡崎生まれの本多忠勝の像もあります。先ほどの龍城神社にも実は本多忠勝は祀られています。(あくまでも私のイメージですが)男気溢れる忠勝、かなり好きな武将の1人です。
岡崎公園内の電話ボックスも岡崎城。
列島を襲った大寒波より前に訪れた岡崎でしたが、この時間になるとかなり寒くなってきました。岡崎城を後にし、東岡崎駅へ歩いてこの日帰り旅、終了です。
2018.1.14 愛知 【瀧山寺 瀧山東照宮】
1月中旬、愛知県岡崎市を訪れました。
大河ドラマ『おんな城主 直虎』で描かれた徳川家康のキャラにはまった私。家康ゆかりの地の代表的な場所として、岡崎にはぜひとも行きたかったところです。
この日、できるだけ早く動こうと考えていましたが、痛恨の寝坊。結局東岡崎駅にたどり着いたのは11:30頃。
ある程度の下調べはしていたものの、イマイチはっきりと決まってなかったので、まずは観光案内に駆け込みます。地図などの案内を手に入れ、とても丁寧に教えていただき、1日の動きがザックリながら決まりました。
まず目指したのは遠いところからと、瀧山寺。東照宮も併設し、徳川家だけでなく古くは鎌倉時代、そして室町時代も歴史の中心人物たちの恩恵を受けた寺院です。
瀧山寺に行くには、バスで移動。観光案内で時間も調べていただき、およそ20分かけて滝団地口で下車。ここまで来るとほんのり雪が降った形跡があります。
ここから数分歩いた所に突然現れるのが瀧山寺の三門。
1267年創建の門で、両側の仁王像は運慶作と言われています。実際に門をくぐることはできませんが、遠くから眺めるだけで素晴らしさに目を奪われます。
ここからさらに山道を20分程歩くと瀧山寺の
入り口にたどり着きます。
鳥居とともに瀧山東照宮の石碑がありますが、この階段を上った先にあるのが瀧山寺本堂です。
奈良時代に薬師如来を祀るお寺として創建されたという歴史ある瀧山寺。足利尊氏から徳川家康と、庇護を受けた武将の名にはビッグネームが揃います。
本堂の中には思いの外数多い仏像が祀られています。そして、びんづる様。
こちらの御朱印は宝物殿でいただけると掲示してあります。
宝物殿に伺う前に、瀧山寺の隣にある瀧山東照宮でお参り。
家光公創建のお宮で、日光、久能山と共に日本三大東照宮と言われます。
こじんまりとしたお宮ですが、造りはとても細やかです。
瀧山寺の裏には家康公が造営したと伝わる日吉山王社もあります。
建物が古いからか、トタンで覆われた状態。
東照宮の鳥居の横に授与所があるので、東照宮の御朱印をお願いします。
ありゃ、オールスタンプか…。
ここから急な坂道を下った先にある宝物殿を訪れます。戻るバスの時間もあったので瀧山寺の御朱印だけいただこうと思っていましたが、何か直感で見ておいた方がいいような気がして、御朱印をお願いするのと一緒に拝観料払って中に足を踏み入れてみました。
建物自体は小さな宝物殿ですが、国指定の重要文化財である聖観音、梵天、帝釈天の三尊像を、本当に間近で拝むことができます。これらは、三門の仁王像も手掛けた運慶と湛慶親子作。しかし、この日の前日から3月まで梵天像は金沢文庫に出張中です。運慶の関連作品を集めた特別展が開催されているようです。
瀧山寺に残っている聖観音菩薩像は源頼朝と等身大で作られ、中には頼朝の遺髪と歯が収められていると伝えられています。X線写真で、おそらく歯であろうというモノが確認できます。すげー。どうやって歯なんか入れるんだろ。
この辺りまで丁寧に解説していただいていましたが、一時間に一本のバスの時間が迫ってきていました。解説は続いていたので、しれ〜っと抜け出そうとしていたら、「お兄さん!ちょっと待って‼︎これだけ見て行って‼︎」と呼び止められます。やっぱり途中で抜けたらダメだったかな。
どうしても見て行って欲しいというのは、小ぶりな十一面観世音菩薩像。この像のお顔にに懐中電灯の光を当てると、表情が変わるんです。ホントにスゴイ。メカニズムは不明だそうですが、この事が分かったのは、2〜3年前だっておっしゃってました。つい最近。
非常に貴重なものを目にできた瀧山寺の宝物殿。まだ解説は続いていましたが、中抜けさせていただき、バス停へ急ぎました。20分くらいかかりますからね。
滝団地口のバス停から、来た時とはちょっとだけルートの違うバスで東岡崎駅方面へと向かいました。
つづく
2018.1.1 愛媛【松山神社 出雲大社松山分祠 伊豫豆比古命神社】
いつの間にやら年明けて半月も経っておりました。
私も無事に年を越すことができました。
私の年越しは愛媛の実家でした。
ということで、元日の初詣報告です。
今年の初詣、どこに行こうか検索してる中で、誰に聞いても「知らねー」っていう神社を発見したので行ってみました。
道後の山の上にある「松山神社」。別表記では東照宮とも記されるお宮です。
今回車で向かいましたが、ナビに入れると鈴鹿のヘアピンカーブ並みの山道を登り、裏道へGO!
裏にあった数台の駐車場に運良く空いてたのでスムーズにお参りできました。
裏に通されたのでいつものように表に周り直してみます。階段をダーっと駆け下りて
鳥居はかなり歴史を感じます。そして東照宮の石碑。
山の上にあるので眺めは最高!松山市内が一望。松山城も丸見えです。
松山神社に祀られているのは、徳川家康公に菅原道真公。元々は家康公の150回忌法要のために造営された東照宮。その後、菅原道真公を祀る祝谷天満宮を合祀して松山神社と改称したそうです。
本殿の造りは権現造。これでもかとばかり、いたるところに葵の御紋が確認できます。
御朱印は、いただけるところが設けられていて、どなたもいらっしゃらなかったけどインターホンも設置されていましたが、本殿では祝詞も挙げられてたし、正月だし…ちょっと気が引けてまた後日来ることにしました。
二社目に訪れたのは、同じ松山市にある出雲大社。あの島根県にある出雲大社の松山分祠です。存在自体知らなかったのですが、とあるきっかけで知り、今回初めてお参りに。
松山城のお堀の先にある、大通りに面したこじんまりとしたお宮でした。
しめ縄もコンパクトながら、本家にも劣らない立派なものでした。
松山分祠には、さざれ石なるものがあります。そして「君が代」の歌詞。
君が代の中で歌われている「千代に八千代にさざれ石の巌となりて」の“さざれ石”です。
思い返せば、小学校の頃、君が代の歌い方で先生から「“さざれ”と“石”の間にブレスを入れない!」と指導された気がします。“さざれ石”でワンワードだと改めて知らされました。
このさざれ石は県内から出たものなんだそうです。
御朱印は、お守りなどがある窓口とは別で授与いただけました。
三社目でお参りに向かったのは、昨年もお参りした伊豫豆比古命神社、通称 椿さん。前の二社と比べてメジャーなお宮なのである程度は覚悟してましたが、やはり近づくにつれて渋滞。ただ、この辺りは正月は営業していないお店や病院が駐車場を無料開放していて、タイミングが合えば空いてるところにスッと入って停めることができます。私もとある病院の駐車場に停めさせていただきました。
元日の椿さんは、本当に凄い人。
ここでは夏に御朱印いただいていましたが、正月限定の御朱印があるのでいただきました。
ブラックベースのゴールドの御朱印です。
そして今年の運試し、おみくじも。
久しぶりに大吉でした!
大吉だったので持ち帰り、財布に入れてます。
翌日、また道後方面に行く用事ができたので松山神社の御朱印もいただきに行きました。インターホン押してみたら、ちょっと離れた社務所から奥様かな?に来ていただいて御朱印いただきました。そうこうしてると、宮司さんも出て来ていただき、この松山神社にまつわるいろんなお話も聞かせていただきました。なかなか面白かった。
松山でも葵の御紋入りの御朱印いただけました。
以上、2018年初詣報告でした。
2017.11.26 滋賀 【彦根城 彦根城博物館 大師寺】
彦根お参り日記、第3弾です。
井伊神社を後にし、彦根城方面に歩いて向かいます。
途中、護国神社がありましたが、この日20:00までに帰って直虎を見ないといけない事を考えて、まずは彦根城をと、護国神社お参りはスルーします。お堀の周りをぐるっと回って表門の方へ。すると、何やら人だかり。
オォ、ひこにゃん‼︎
1日3回ひこにゃんが登場する時間が決まっていて、ちょうどその時間にうまく合ったみたいです。初めて有名どころのゆるキャラ遭遇にテンション上がるおじさんです⤴️
その後、落ち着きを取り戻し、入城券を購入。お城と博物館の共通券にしました。
お城を巡るのは、10年くらい前に行った地元の松山城以来かな。
とにかく広い広い彦根城。攻めてくる相手の事を考えてからか、天守まではクネクネクネクネ。
彦根城の要の城門・天秤櫓は中を特別公開していました。
そしていよいよ本丸へ!
折角なので天守に登ろうとしますが
長蛇の列。
天守の中は階段を2回登らないといけないのですが、その階段がかなりの難易度です。細いハシゴを掛けたような階段なので、足の悪い方、子どもさんは時間がかかる。ようやく登りきったのは、並び始めて30分後。
遠くに琵琶湖も望めます。天気が良ければ尚良しでしたが、この日は曇天。
流れに沿って歩き、次は階段を下ります。これがまた時間がかかる!そりゃそうだ。私でもちょっと怖かったくらいです。20分くらいしてようやくお城の外へ。天守に登る方の行列は途絶えていません。
想定より時間がかかったので、このまま城を後にして博物館に向かいます。
彦根城博物館では11/28まで大河絡みの特別展が展示されていました。
写真撮影はもちろんNGなので、記憶に止める為じっくり見ちゃいます。大河ドラマ見てると、「あぁ、これが…」と思わせる書状や武具、絵巻などなど。こりゃたまらん。井伊谷の徳政令問題の頃の今川との書状のやりとりなど、口語訳をずーっと読んでました。
博物館の奥には、和の趣のある『表御殿』があります。言ってみれば、彦根藩のオフィスと藩主の住居を兼ねた建物を復元したもの。
ここは写真撮影OKなので立派な庭園を収めてみました。
帰り際、“ここにしかない”直虎グッズに後ろ髪を引かれながら博物館を後に。
時間的に16:00過ぎには彦根駅に戻っておきたいので、彦根駅に戻る道すがら、一つお寺をお参りすることにします。
彦根駅すぐ近くの大師寺さん。
小さなお寺ですが、日本唯一、ゴロンと横になったお大師様の像が安置されています。
私がちょうど伺った時、一人のご婦人が自転車で中に入られます。お寺の奥様のようで、挨拶すると「中に入ってお参りできますからどーぞー」と言っていただきます。ならばと、閉まっている扉を開けようとするも、鍵がかかってる。すると玄関の方でも「あれ⁇あれ?」って声も聞こえます。どうやらご住職が施錠バッチリでどこかへお出かけされたようで、鍵を持たずに出かけられた奥様も締め出された形に。「ちょっと待てば戻ってくるかも」とおっしゃるので、お寺の周りにある七福神の像にお参りしたり、八十八ケ所の石畳を一番から踏んでみたりして時間を潰してみますが、ご住職が帰ってこない。
中にさえ入れれば奥様に御朱印頂けるそうなのですが、時間も迫ってきたので失礼することに。うーん残念。
駅前の商店街を歩いていると『近江ちゃんぽん発祥』ののぼりが見えて腹も「ぐぅぅぅ〜」っと鳴りますが、帰路を急ぎました。
見所多くて楽しかった彦根。こりゃ、一泊予定で再訪しないといけません。
2017.11.26 滋賀 【長寿院 井伊神社】
彦根お参り日記の続きです。
龍潭寺の周りには、寺社がいくつかまとまっています。すぐ近くに井伊神社が目に入りましたが、その奥に別のお寺の案内が見えたのでそちらからお参り。長寿院、別名・大洞弁財天さんを目指します。
“こちら→”っていう看板の方に歩いて行くと、ありえない山道。
しかもかなりの勾配です。
「ヒーヒー」言いながら登って行くと何やら古い建物が。後から由緒書き見てわかったのですが、それは経堂。由緒ある建物のようです。そんなこと知らずに「まだ先かよ」って思いの方が強くて写真撮らず。煩悩の塊を露呈した形に…。
そこからまたしばらく歩くと“お参りの方はこちら↗︎”の案内が。階段を登ってようやく到着しました。
4代藩主井伊直興が日光東照宮を修造した大工を使って建てたもので、権現造りの本堂は彦根日光とも呼ばれます。正式には長寿院ですが、日本三大弁財天の一つといわれる弁財天坐像を安置していることから大洞弁財天と呼び親しまれています。
私が入ったのはどうやら裏からのようで、本堂を前にして振り返ると歴史感じる山門が。潜って山門の外に出ると、下りの階段が続いています。それが結構長い階段で、一度下ってまた登ってって気を起こさせない!
ちょっとだけ下って山門をパチリ。
急な階段で後方に体重をかけるのが困難でしたので、全てが入りきれない中途半端な一枚。重厚感は凄いです。この門は楼門と呼ばれていて、階段を降りたところにもう一つ総門があります。下から登って総門→楼門の順に潜って本堂でお参りするのが正式なのかな?
結構情報が少なくて、それらの事が分かったのは帰り際にいただいた由緒書きを見てからでした。先に欲しかった。
再度楼門を潜り、本堂・弁財天堂でお参り。
当時最高の建築装飾技法が駆使された国の重要文化財です。
本堂の裏には奥の院・宇賀神堂。
また階段の上。
そして本堂方面に戻り、向かって右側には阿弥陀堂があります。
彦根藩領内の古城主237人を弔う為、戒名が奉納されているそうです。また、この建物には日光東照宮に似せて眠り猫が彫られているそうなんですが、後から知った為、見ること叶わず。
御朱印は奥にある納経所でいただけました。
どうやら障子紙張り替えの真っ最中のようでした。
大洞弁財天を後にし、来た山道を下ります。そして先程スルーした井伊神社にお参りです。
浜松の井伊谷から井伊大明神を分霊して神像を造り、龍潭寺の参道脇に祀ったのがはじまりと言われる井伊神社。直政・直孝親子も祀られています。
鳥居も立派、紅葉も美しい。
が、山道の突き当たりの本殿は
あれ?どう見ても封鎖されてる。南京錠でがっちり。後でガイドの方に伺ったところ、あまりにも劣化が激しくて、今は本殿には何も祀られていないとのこと。代わりの新しい本殿は
横にあります。
旧本殿の見えるところだけでも感じますが、中はかなりの豪華絢爛のよう。今では年に2回内部公開されていて、つい最近公開があったようです。残念。
さて、お次は彦根城を目指します。
つづく