2018.1.14 愛知【大樹寺 菅生神社 龍城神社 岡崎城】
愛知県岡崎市道中つづきです。
瀧山寺宝物殿を後にし、バス停へと急ぎました。滝団地口のバス停から、来た時とはちょっとだけルートの違うバスで東岡崎駅方面へ。途中の大樹寺で下車します。
徳川家、さらには松平家の菩提寺となる大樹寺。今では岡崎市の町名にもなっています。
そしてその大樹寺まで。一度道を間違えるハプニングもありつつ、結構歩いて大樹寺に到着。
山門も立派です。
平安末期の阿弥陀如来を本尊として祀る大樹寺。家康公から5代前の先祖、松平親忠公創建と言われています。
本堂内は煌びやか。
そこから奥にある寺務所で御朱印帳を預け、収蔵庫、宝物殿にも足を運びます。この先は有料。中でも大樹寺のハイライトは松平八代・徳川歴代将軍の位牌。徳川将軍の位牌は亡くなった時の身長で作られています。が、高い位置に置かれているためか、大きいのか小さいのかよくわかりませんでした。ちなみに15代慶喜公の位牌はありません。将軍職を退いた後も存命であったことと、神式で葬られることを遺言したためだということ。
一通り巡った後、御朱印を受け取ります。
ここに書かれている『厭離穢土 欣求浄土』の文字。桶狭間の戦い後、大樹寺に逃れて自害しようとしていた若き家康公に住職がこの言葉を贈り思いとどまらせたという逸話が残っています。“戦国乱世を住みよい浄土にする事がお前の役目だ”という意味。深い…。家康公はこの八文字を座右の銘にしていたとか。
大樹寺から東岡崎駅方面へと戻る際、途中にもいくつか神社はありますが、時間的に厳しくなって来たのでそこはスルーして岡崎城へと向かいます。再度バスに乗り、殿橋という停留所で下車。ここから歩いて数分のところにあるのが菅生(すごう)神社。
由緒書きによると、歴史は日本武尊の逸話まで遡ります。
東国平定のため岡崎に立ち寄った際、賊を討つために矢を作らせると神風が吹き、そのうちの一つが小川に吹き流されると。その矢を御霊代と仰ぎ、伊勢の大神を祀ってここに神社を建てたのが始まりとか。岡崎市最古の神社と言われています。
家康公も厄除け、開運の祈願をしたとされる、由緒あるお宮です。
境内社の一つ、慰霊社。非常に細かい彫刻が施されているのに興味が湧きます。
開運稲荷大明神。
御神木、その名もパワーの木! 抱きついて、抱きしめて来ました。
御朱印をいただくと、限定御朱印の案内もいただきました。
コレはかなりそそられます。
菅生神社の後、ようやく岡崎城へ。
岡崎城のすぐ隣には龍城(たつき)神社が鎮座しています。
家康公生誕の朝、城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れ、昇天したという伝説が残る龍城神社。
とにかくキレイ‼︎って印象のお宮。こちらも家康公を祀る東照宮の一つで、昭和37年の社殿再建の際には日光東照宮から神木の寄進を受けて建てられたそうです。
そして岡崎日帰り旅の最後に岡崎城へ。
時間も遅くなって来たので天守閣には入らず、外から眺めるだけ。
家康公の銅像も逆光でうまく撮れず。いいタイミングで飛行機雲が入ってきました。
同じく岡崎生まれの本多忠勝の像もあります。先ほどの龍城神社にも実は本多忠勝は祀られています。(あくまでも私のイメージですが)男気溢れる忠勝、かなり好きな武将の1人です。
岡崎公園内の電話ボックスも岡崎城。
列島を襲った大寒波より前に訪れた岡崎でしたが、この時間になるとかなり寒くなってきました。岡崎城を後にし、東岡崎駅へ歩いてこの日帰り旅、終了です。