2018.4.1 愛知 【犬山神社 犬山成田山】
犬山お参り道中、続きです。
針綱神社と三光稲荷神社の向かい側にひっそりと佇む神社があり、お参りに行きます。
犬山神社。
最初にお参りした二つの神社とは対照的で、“ひっそり”って言葉がぴったり。ゆっくり眺めてお参りできます。
歴代犬山城主や戦没者が祀られています。
おぉ、ここにも御神馬。
鳥居のそばにある枝垂れ桜がとても綺麗でしたが、外国からの観光客が写真撮りまくってて大変なことになってました。
お次に犬山城下から少し離れた山の上を目指します。
桜吹雪の舞う通りを15分ほど歩いた先にあるのが犬山成田山。
正式には成田山名古屋別院大聖寺。千葉の成田山の別院にお参りするのは、東京の深川不動堂以来、二つ目となります。
こちら、明王門。門の楼上にも御本尊の不動明王が安置されているそうです。
参道入口までなだらかな坂がありましたが、ここからは階段‼︎この日は天気も良く、本堂前にたどり着いた頃には暑い‼︎
でも振り返ると犬山市街が一望。なかなかの眺望です。
お線香をお供えしてお参りします。
御本尊は不動明王。そういえば、深川不動堂では本堂の中でお参りできたなぁと思い出します。
本堂の右手にある寺務所で御朱印をお願いしました。
何となく、市役所みたいな雰囲気のある寺務所でした。
因みに本堂の左手では演歌歌手 南はるかさんの新曲キャンペーンが行われてました。
すみません。知らん。
ちょうど御朱印をいただいた後、12時を回り鐘楼堂から“ゴォ〜ン”って鐘の音が響きます。覗いてみると、オートマチックの鐘つきでした。
犬山成田山、敷地も広いのでまだ見所あります。
弘法大師を祀る大師堂。その地下には四国八十八箇所札所の御砂ふみ行。手を合わせてグルッと一周してきました。大師堂でも御朱印いただけるようでしたが、とある事情で声掛けれなかったので諦めます。
そこから下へ降りるまでの間にも、出世稲荷
聖蘭堂などお参りスポットが続きます。
そして意外と桜を間近に見ることができました。すでに緑もチラホラ。我ながら、桜の接写、下手くそやなぁ´д` ; どうやったら上手く撮れるんでしょうね? iPhoneで。
下まで降り切ると、登る時にもチョット気になっていた13体の像。不動明王とその東西南北を守護する四明王、不動明王の従者である八大童子の像の13体が並んでいます。写真だとわかりにくいですがこれがまた、木と像の配置が絶妙に見えるんです。
とにかく暑かった犬山道中。お腹も空いたので、再び城下町まで戻り、何か腹を満たせるものを…と探しますが、人の数が半端なく増えてる。何か食べれそうなところは全て長蛇の列。結局、屋台みたいなところで牛串とお好み焼きをビールで流し込み、帰途につくのでありました。
おわり
2018.4.1 愛知 【針綱神社 三光稲荷神社 猿田彦神社】
愛知県の北の端っこにある犬山市へお参りの旅、行ってまいりました。
ちょうど桜も見頃が最後の週末だろうということもあり、さらに翌週はお祭りで大変な賑わいになるであろうと予想して、4/1のお参りです。
今回は意外と早く行動でき、10時ごろには駅に到着。そこからちょっと歩くと犬山城へ続く城下町に。すでに賑わいを見せています。
城下町の突き当たりに、桜で彩られた神社の入り口が現れます。
犬山城の麓に鎮座する、まずは針綱神社です。
そり橋
階段を上った先に
拝殿
この地で1,000年以上も前から崇拝されている針綱神社は、織田信長公の叔父・織田信康公が安産、延命長寿を祈願して手彫りの狛犬を奉納した事から、安産、子授け、長寿に特にご利益があると言われているそうです。
おぉ、御神馬。こちらの御神馬、子どもの守り神なんだそうですが、我が子の成長と共に、(無理とわかってても)競馬の当たりをこっそり祈願。
そして御朱印もお願いします。
針綱神社から犬山城へ直接向かうルートもありましたが、既に天守まで40分程の混雑との情報があり、遠目に眺めるだけにします。
こちらの写真、桜の奥に天守がチラ見してます。
針綱神社のすぐ隣に位置するのが三光稲荷神社
境内社として猿田彦神社もあります。境内社っぽくなく、しっかりとしたお宮です。まずこちらにお参り。
そして三光稲荷神社へ。拝殿には行列が出来る、人気のお宮です。針綱神社同様、織田信康公の庇護を受け、江戸時代には犬山城主・成瀬家の守護神として長く愛されているお宮です。
インスタ映えするのか、この鳥居で写真撮る人多いよ。
境内社は姫亀社と
三狐地稲荷社。
社務所にて御朱印をいただきます。こちらでは三光稲荷神社と猿田彦神社の御朱印を二ついただけます。
寺社巡りをしていて、滅多にお守り買わない、おみくじもしない、そんな私ですが、ここではチョット惹かれる末社があります。その名も銭洗稲荷神社。その名の通り、銭を洗うんです。池の水で。そうすることで、何倍にもなって返ってくるという、なんともありがたいご利益。因みに¥100で出来ます。社務所でロウソクとザルを受け取り、ロウソクを灯します。
ザルにお金を入れて…って、ここで疑問が。お札かな?コインかな?と思い、ふと隣でやってた女の子のザルを見てみると
‼︎
福沢諭吉洗っとる!
いや、私もここ来る前にATMでお金おろしてきたから、持ってるんですよ(←強がり)でも、野口英世にしました ε-(´∀`; )
柄杓でザルに載せたお金に優しくかける。かける。かける…。こんなもんでよろしいでしょうか。
濡れたお金は用意されているタオルの上で、水気を取る。ここでは絶対に乾きません!そのまま財布に入れてる人もいましたが、流石に私はクリアファイルの中に入れて帰りました。
さて、何倍になって返って来るか、楽しみで楽しみで仕方ありません( ̄ー ̄)
つづく
2018.3.18 愛知 【興正寺 日泰寺奉安塔】
名古屋での所用の空き時間、お寺にお参りに行ってきました。
名古屋市昭和区八事(やごと)にある八事山興正寺。何となく、尾張徳川の祈願所であった事くらいしか予備知識がないまま訪れました。向かいながら予習したところによると、過去色々な騒動を起こしたこともあるそうですが、高野山真言宗の別格本山という位置付けのお寺です。
八事駅を降りて興正寺方面に歩いていると、まず門が現れますが、こちらの東山門からは入らず、もうちょっと先の参道へ進めと案内されます。その先にドーンと広がる興正寺の敷地。
予想以上に広い‼︎境内案内図を見て、ちょいビビりました。
くぐった門は中門。そして目の前に大仏様がお座りでした。
こちら釈迦牟尼大仏。平成26年に安置されたばかりの大仏様で、興正寺に代々伝わる掛け軸に描かれている仏様を再現したものなんだそうです。大仏様の奥にそびえているのは五重塔。1808年に建立され、国の重要文化財に指定されています。
五重塔の奥に本堂。阿弥陀如来をご本尊として祀り、不動明王、弘法大師なども祀られています。
さぁ、ここから広い広い興正寺の奥の院を目指します。
いきなり登場したのが、階段の横に設置されたエスカレーター‼︎お寺の参道の途中で初めて見たわ。
階段及びエスカレーターを上った先にあるのが能満堂という伽藍。虚空蔵菩薩を祀るこのお堂は、徳川家の祈願修法所として使われてきたそうです。
さらに奥に進むと奥の院の案内が。
その先はこんな感じ。両サイドに檀家さんのお墓が沢山です。途中、こんな石碑が。かつて、この先は女性は立ち入ることができなかったようです。まさに高野山。
そして、八事山の中で一番高いところに位置するお堂、大日堂です。総本尊の大日如来様、3.3㍍ののお姿を隙間からチラッと拝むことができます。
このお堂の脇に、扉が開いているところがあったので覗いてみると、お堂の周囲を干支の守護本尊がそれぞれ祀られていました。私も寅の虚空蔵菩薩に手を合わせます。
ここからしばらく歩くと弘法大師を祀る弘法堂。
さらにここから八事山の森を抜けると奥の院の二つのお堂があります。
向かって左側が不動明王と毘沙門天を祀る不動護摩堂。
向かって右側は阿弥陀如来を本尊として祀り、歴代の尾張藩主の位牌も安置される東山本堂。いずれもひっそりとした雰囲気の中に凛と佇みます。
ここから再び、五重塔方面に戻ります。本堂前に戻ると、奥の院とは反対方向、階段を登ったところに観音堂があります。何やら法要が行われてるのか、お経と木魚の音が階段を登るにつれ大きく聞こえます。何やってんだろうって覗いてみると、御本尊の前で火が焚かれお坊さんと一緒に一般の人も木魚を叩きながらお経読んでました。護摩供養だ!邪魔になっちゃいけないと思い、控えめにお参りさせていただきました。ずっと見学しときたかったのですが、そういうわけにもいかんだろうと、退散。
納経所で御朱印をお願いし、興正寺を後にしました。
ホント、こんなに歩くとは思わんかった…。
とは言え、まだ時間があったので地下鉄を乗り継いで昨年10月にお参りして御朱印をいただき損ねていたお寺へ、再度お参りに。
千種区の日泰寺へ。タイ国王から寄贈されたお釈迦様の遺骨を安置するために建立された、どの宗派にも属さないお寺です。
この日はお参りを済ませ、寺務所にて御朱印を拝受。その後、歩いて10分くらいのところにある舎利殿にもお参りしました。
お釈迦様の遺骨は奉安塔の中に安置されているそうですが 15㍍ある塔の全景は見えませんでした。この拝殿の奥にあります。
奉安塔の姿は写真では見ることは出来ます。ガンダーラ式と呼ばれる…と案内板に書かれていました。ガンダーラ式か…。帰りながら頭の中で♪ガンダーラ、ガンダーラ、They say it was in India♪と流れていたのは言うまでもありません。
西遊記のDVDでも借りてこよっかな。
2018.3.4 愛知 【薬師如来堂 豊川進雄神社 徳城寺 三明寺】
豊川市お参り同中、続きです。
豊川稲荷の総門を出るとその先は表参道。1時過ぎってこともあって人もいっぱいです。中でもひときわ盛り上がっているのが入り口周辺のおいなり屋さんでした。豊川市はいなり寿司発祥の地の一つと言われています。
私はこれまでお参りしたところで、あまりご当地名物は食してきませんでしたが、この日は賑やかに呼び込みしてる『おきつね本舗』へ。色々あるおいなりさん選べずに、3種類の詰め合わせと、きつねバーガーをオーダー。詰め合わせは帰って食べるとして、きつねバーガーはその場でパクつきました。
厚めの油揚げでカツを挟んだきつねバーガー。
‼︎‼︎
うめぇ。
油揚げにもしっかり食感があり、小さいけど食べた感はあります。ペロッと平らげました。
口にソースが付いてないか気にしながら、参道を駅方面に歩いていると、来る時には気づかなかったお薬師参道というのに目が止まります。
こちら、薬師如来堂。豊川稲荷のお堂の一つです。利用の減少から門は閉ざされていたそうですが、門前町の活性化を目的に境内の整備が行われて、平成13年に開門されたおどうなんだとか。どーりで新しい。
お参りし、こちらでも御朱印をいただきました。
商店街を抜けて、一本路地を入った先にあるのが、豊川進雄(すさのお)神社です。
歴史は701年からという、半端ない歴史ある神社でした。テレビで見たことある、夏祭りに手筒花火をやってるところなんですね。
本殿もとても歴史を感じます。
御朱印もいただけました。
豊川進雄神社のお隣にあるのが、徳城寺。
いきなり、仁王像にお出迎えされます。こんな剥き出しの仁王像も珍しい気がします。
本堂では、中に入ってお参りできるようなので引き戸を開けて中にお邪魔します。
中では女の子2人がご住職からご説法いただいている最中だったので、邪魔にならないようにそっとお参り。そしてお堂の中をぷらぁ〜と眺めてると「御朱印か?」と(やや乱暴に)声をかけていただきます。私も一緒に話を聞くように言われるので、お隣に失礼してお話を伺います。
御朱印に押していただいている印は『三寶印』といい、『佛法僧寶』の文字が刻まれてること。そしてその意味。弘法大師のお話。ご住職が中国に行った時の新幹線のチケットの話(⁇)などなど、小一時間に渡ってご説法いただきました。
御朱印には動物の絵も描いてくれます。聞くと、干支の絵を描いて欲しいというリクエストから、今ではこうなったようです。そしてこちらでは、朱印は自分で押すシステム。見本を見ながら同様に押すのはなかなか貴重な経験です。
さらに、私には超レアな出来事が。実は一部、ご住職が間違えてしまったのです。喋りながら書いてたからか、書き終えてから「あ、間違えた」って。まさに『弘法も筆の誤り』。その間違えた方にも朱印を押させていただきました。(間違い探し)
ちょうどその頃、別のお参りの方が見えられたのでその方にバトンタッチ。
私は本堂の裏にあるもう一つのお堂に伺います。ここは、御朱印の文字にもある錫杖井戸(しゃくじょういど)のお堂。弘法大師のお告げで掘られたという伝説の残る井戸です。このお堂でもお参りして、失礼しました。
また、駅の方に戻り、もう一つお寺をお参りです。区画整理が進み、比較的新しい住宅が立ち並ぶ一角に佇むのが三明寺さんです。
歴史は702年から。真っ先に目に飛び込んで来る三重塔。一層、二層が和様、三層が禅宗様で構成されている、全国でも珍しい塔なんだとか。
御本尊は弁財天。御朱印も弁財天でいただきました。
古くからの寺社様式の趣を残す豊川市巡り。楽しい1日になりました。
2017.3.4 愛知 【豊川閣妙厳寺】
愛知県は東三河にある豊川市に行ってきました。
きっかけは名鉄の駅に置いてあったパンフレット。豊川稲荷をメインに豊川市に名鉄で行って食事して…というパンフを見て、豊川稲荷って何かスゴそう…と思い、決行してまいりました。因みにそのパンフの企画は利用してません。
参道の至る所で狐がお出迎え。
表参道の商店街は“なつかし青春商店街”。
こんな感じで懐かしい昭和な雰囲気を漂わせます。
商店街の突き当たりが豊川稲荷。
豊川稲荷って言っても、稲荷神社ではなく曹洞宗のお寺です。正式名称は豊川閣妙厳寺。
総門をくぐった先に山門が見えますが、境内案内図によるとそちらへは行かず本殿の方へ向かえと。
立派な鐘楼堂では僧侶の方がお昼の鐘を突かれてました。
本殿方面に向かうと、先ほど神社じゃなくてお寺だって言ったにもかかわらず、鳥居が。鳥居の脇にはお稲荷さんの使い、狐が。この後、狐がいっぱい出てきます。
本殿に向かう途中、御朱印の受付があったので御朱印帳を預けてお参りです。
豊川閣妙厳寺。
始まりは室町時代前期の1441年。御本尊は千手観音菩薩の豊川稲荷。今川義元、織田信長、豊臣秀吉、九鬼嘉隆、徳川家康、大岡忠相など歴史上のビッグネームも深く信仰していたと伝わっています。
本殿前でお線香を供えてお参りし、広い敷地を順路に沿って進みます。
不動明王、薬師如来、観世音菩薩、大日如来など十三尊仏を祀る宝雲殿。
禅堂・万燈堂。
弘法大師を祀る弘法堂。
土蔵造りのお堂は大黒堂。お堂の前にはおさすり大黒天が立ち、皆さん触って行かれます。ご真言を唱えながらさすることでご利益が得られるそうですが、慣れないご真言は言いにくい!きっと大黒様には伝わらなかった事でしょう(涙)
大黒堂から先は、霊孤塚を目指します。途中の参道は両サイドに白いのぼり、千本のぼりがはためきます。
ポツポツと狐像が見受けられますが、こんなの序の口。
終点にはドーーーンとおよそ1,000体の狐像。まさに圧巻でした。いろんな顔の狐像。もともとは納めの狐像を祀る場所が祈願成就のお礼として奉納されたお狐さんが祀られ、この数になったとか。
この顔が好きかも。
狐塚からお次は奥の院。樹木が生い茂る中に佇むこの建物には幻想的な雰囲気も感じます。
奥の院から進むとそこには景雲門。この写真はくぐって振り返ったところ。向かって左側に子宝、子育てのご利益がある地蔵菩薩、右側に大黒天が祀られています。
景雲門の先には三重塔。観世音菩薩が祀られます。
通天廊の下をくぐって抜けると、本殿の脇に出てきます。そこには立派な庭園も望めます。
広ーい敷地をぐるっと回って、豊川稲荷を満喫。各所に様々な仏様が祀られていますが、それぞれにご真言が明記されているので、しっかり唱えれば、ご利益を得られたような気にさせてくれます。(どれも唱えるのは難しいですが)
そして預けていた御朱印帳を受け取ります。参拝の方も増えてて長蛇の列が出来てます。こうやって並んでるのに、我先にという考えの人っているんですね。ちょうど私の番の時、横から入って来ようとしてるオッさんがいたので、たまらず「後ろ、並んでますよ!」って一喝してやりました。ふんっ‼︎
いただいた御朱印を眺めていると、御朱印帳を預けたばかりのご婦人が「あらぁ〜、素敵な御朱印ねぇ」と声をかけていただきました。なんか、嬉しかった。
最後に、来た時にくぐらなかった山門に向かいます。今川義元寄進で、豊川稲荷の中では最古の建物。左右の仁王像は、昭和41年寄進のものだという、意外と新しいものでした。
まだ1時過ぎ。もうちょっと豊川を回ります。
つづく
2018.1.31 静岡 【静岡浅間神社】
静岡お参り道中 最終章です。
清見寺からお次に目指したのは、葵区の静岡浅間神社です。広い敷地にいくつもの神社があるという情報しかありませんが、全部お参りするのにどのくらいの時間がかかるかわからなかったので、早めに目指します。
30分くらい車を走らせたでしょうか。静岡浅間神社に到着。神部神社、浅間神社、大歳御祖神社の三社からなり、静岡浅間神社はそれらの総称です。ちなみに総称の場合、浅間は“せんげん”と呼び、中の神社は“あさま”と呼ぶようです。
駐車場は神社敷地内にあるので、門をくぐるために一度外に出ます。
こちら総門。総門の次にある楼門は改修真っ最中でしたのでくぐれませんでした。
北回廊側に回って大拝殿の前に。
こちら大拝殿の奥、左側に浅間神社本殿、右側に神部神社本殿があります。イマイチその位置関係がわかってなかったので、一度のお参りで済ませてしまったけど、大丈夫だったかな…。
神部神社は延命長寿、縁結び、除災招福のご利益が、浅間神社は安産、子授け、婦徳円満の神として信仰されています。
大本殿前を横切るように南回廊を抜けると社務所があります。ここで御朱印帳を預けて他をお参りできるようなので、お願いします。
申込書的なものを渡され、名前と電話番号、希望の御朱印に⚪︎をつけて申し込み。本来、八社の御朱印がいただけるようですが、この日は四社のみの受付でした。
社務所に一番近い神社が八千戈(やちほこ)神社。スポーツ、武道、開運の守護神として祀られています。
屋根を見ると、葵の御紋が確認できます。もともとは徳川家康の念持仏だった摩利支天像を安置するために造営されたものなんだそうです。何となく、東照宮感も漂う荘厳な建物です。
八千戈神社から先に進むと、静岡浅間神社メイン社の一つ、大歳御祖神社があります。こちらには別に神門も設けられています。
朱が鮮やかな拝殿。諸産業の繁栄守護神として信仰されています。
お次に目指したのは、麓山(はやま)神社。
実は大歳御祖神社に向かう際に横目でチラッと見てたのですが、階段を上ったその先にあるようです。
現実逃避したくなる、百段階段…。今日は階段ばっかりやな! それはそれは急な石段で、登るのもちょっと怖い。そんな石段を登って山道を進むと、麓山神社が見えてきます。
日本武尊も祀る麓山神社。古来からこの山上に鎮座する山宮で、元々は静岡浅間神社の四本社の一つとされていましたが、明治時代に境内社となったようです。
参道を戻り、急な百段階段を下り社務所で御朱印帳を受け取ります。そしてまだお参りしていない二社へ。
神部神社と浅間神社の大拝殿の前を戻り、北回廊を出て玉鉾(たまぼこ)神社をお参り。
こちらは受験、学問の神様として仰がれています。小さなお宮ですが、社殿は伊勢神宮の古材を使って再建されたものなんだそうです。
玉鉾神社の近くにあるのが少彦名(すくなひこな)神社。社殿は改修中。医薬の神、技芸上達、知恵の神を祀る少彦名神社。この看板によると、20年かけた平成の大改修が今年3月に終わるようです。
いただいた参拝のしおりと境内に掲示してある看板を見て、お参り忘れがないかを確認しながらの参拝となった静岡浅間神社。1時間弱のお参りでした。
社務所で巫女さんに伺ったところ、特に参拝順序の決まりは無いようです。身近にこんなにもたくさんの神様が祀られているなんて、この辺りに住む方が羨ましい。
で、いただいた御朱印をまとめてご紹介します。
静岡浅間(せんげん)神社
浅間(あさま)神社
静岡浅間神社からやはり、2時間ちょっとかかってレンタカーを返却。なかなかの充実した1日でした(疲)
おしまい
2018.1.31 静岡 【清見寺】
静岡お参り道中 PART 2 です。
駐車場でお次のお参り先を詮索。
久能山東照宮ともう一つ、静岡に行くならお参りしたいなぁと考えていたのが、静岡浅間神社。何でも、広い敷地の中にいくつもの神社があるらしい…という浅い情報しかありませんが、そこには行ってみようと。でもまだ時間にも余裕がありそうなので、ちょっと離れたところに行けるかなぁと導き出したのが、清見寺というお寺です。
静岡市清水区にあるお寺。久能山下から、途中、遠くに富士山を眺めながら30分くらいかかったでしょうか。
清見寺到着です。
駐車場の敷地にあるのが清見寺最初の門、総門。
総門のあたりにいると、電車の遮断機の音が聞こえます。特に気にしてなかったのですが、電車が通ってびっくり。総門と山門の間を電車が、走って来ました。東海道線を超える形で山門へ向かいます。
お寺の創建は古く、奈良時代。当時、この辺りに清見関という関所があり、その傍に建てられた仏堂を関所の鎮護としたことが始まりと言われています。
山門をくぐって真正面にあるのが、仏殿。
釈迦、迦葉、阿難の三尊が祀られています。
右手に回ると『⇦受付』と大きく表示されています。本堂の中を拝観することができます。受付に行くと鐘が吊るされていて、拝観希望の人は叩くよう案内されています。私、こういうのがどーも苦手で。叩こうか、叩くまいか、ウロウロしていると運良くお寺の方が出て来てくださいました。拝観希望である旨を伝えると、由緒書をいただき、拝観ルートをご丁寧に説明していただきました。
まずは本堂へ。
ご本尊は聖観世音菩薩様。またこちらは江戸時代より朝鮮や琉球の使節団が江戸へ向かう際の中継地となっていたようで、それにまつわる資料が木簡として掲示されています。この写真の上に、2/3ほど写っている『永世孝亨』の文字は琉球王子筆のものなんだそうです。
本堂の先に大玄関があり、そこの天井は鎌倉時代にこの関所で起こった戦乱の跡を伝える血天井なんだそうですが、どこが血の跡が良くわからず…。
順路通りに進み、本堂の裏回る形で移動すると、そこには『家康手習いの間』。
今川家の人質としてこの地に身を寄せていた当時の竹千代。このお寺のこの部屋で住職から教えを受けていたそうです。狭い…。3畳ぐらいのお部屋でした。
家康公の手習いの間の窓から望めるのが名勝 清見寺庭園です。
家康公もこの庭を愛し、駿府城から石を移してこの庭に配しているそうです。
置くの書院へ進むと、わぁ、
これはまさに厠⁈意外に広くて快適そう。
明治維新後には天皇陛下もよく訪れていたそうで、玉座の間もあるんです。
玄関方向へ戻ると、お次は2階へ。
潮音閣と呼ばれるこのお部屋。三面ガラス張りの開放的なお部屋。
この部屋から見える景色、今では埋め立てで色々なものが見えていますが、その昔はその名の通り潮の音が聞こえていたそうです。
本堂の拝観後、御朱印帳を受け取り外へ。やばっ!予想以上に楽しんで時間を忘れてました。帰り際に鐘楼をパチリ。
全景をパチリ。
なかなかの見応えあるお寺でございました。
そして家に帰って、見どころの一つ、五百羅漢石像を見るのを忘れたことに気づき、愕然とするのでありました。
つづく